卒業論文・修士論文・博士論文の執筆は、当教室では必修です。これまでに学んだこと、興味のあることを調べ、論じることで一つのテキストへと仕上げるスキルは、みなさんが社会に出たあとも役に立つことでしょう。
テーマの選定には指導教授との相談が不可欠ですが、今までの卒業生・修了生が取り組んだテーマはご覧の通り、多岐に渡っています。
論文の内規は以下のページをご覧ください。
→修士論文・博士論文内規
卒業論文
2021年度
パウル・クレーの性質と教育について
孤独を知り、美しさを得る ——愛を追い求めたファスビンダーが描くエルヴィラ・ヴァイスハウプト最後の5日間——
ミヒャエル・エンデ『ハーメルンの死の舞踏』とそのモチーフについての考察
映画『水を抱く女』におけるウンディーネ像の解放
2020年度
フェミニズムの観点からみる『ラプンツェル』と『塔の上のラプンツェル』
ロッテへの「愛」の表現から読み解くウェルテルの「死」
ミヒャエル・エンデ『モモ』の作品世界に見る、ルドルフ・シュタイナーの仏教思想と日本の「禅」的精神性の影響
Lebensborn und Euthanasie. Analyse des ideologischen und organisatorischen
Zusammenhang von NS-Verbrechen an Kindern in Lebensborn und Euthanasie
1939-1945.
(レーベンスボルンと安楽死。1939-1945年におけるレーベンスボルンの子供に対するナチスの犯罪と安楽死のイデオロギー的および組織的関係の分析)
ウィーンのアテナ
インゲボルク・バッハマン『三十歳』における衝撃がもたらす距離とそれに伴う言葉の変化について
2019年度
古楽復興運動の始まりとバッハの再発見
ドイツ語圏由来の日本に受容された童謡における独日二言語の歌詞の比較――歌詞に登場する「動物」について
なぜ「アイ・アム・フロム・オーストリア」なのか――曲名に外国語を用いる意義
『詩人の恋』の構造を読み解く――原作との比較
2018年度
第二次世界大戦以降のドイツと日本の歴史教育――これまでの取り組みとこれからの課題
ヘルマン・ヘッセ『デミアン』に関する考察――伝記的・精神分析的なアプローチを通じて
写真家アルベルト・レンガー=パッチュの現代日本における位置づけについて
何がホロコーストを引き起こしたのか 恨み・嫌悪の対象となった社会的少数派
2017年度
『ニーベルンゲンの歌』のプリュンヒルトを巡る欺瞞と復讐
時代と知覚の変容―ベンヤミンを現代で考える―
『LA LA LAND』との比較からみる『若きヴェルテルの悩み』の恋の行方
オーストリア=ハンガリー帝国時代における「オーストリア的」と第一次世界大戦後の「ハプスブルク神話」
2016年度
「ファンタージエン」におけるファンタジーと現実の関係
近代ドイツ児童文学におけるメルヘン及びアンチ・メルヘンの考察
村上春樹『ノルウェイの森』のドイツ語翻訳における「死」の解釈と表現
仮面を付けたラッパーとヒップ・ポップの空間仮面を付けたラッパーとヒップ・ポップの空間
ハインリヒ・ベルの短篇三作品における戦中・戦後のドイツの教育に対する問題提起
2015年度
二度の大戦で「進化」するプロパガンダ、そして現代の私たち
宗教改革期の阿呆概念―トーマス・ムルナーの『ルター派の大阿呆に関して』に描かれた愚者―
戯曲『ラーガー』
マイスター・エックハルトの「言い表し得ないもの」に向かう言語創生―接尾辞で形成される抽象名詞の特徴を中心にして―
2014年度
本当の自分は存在するのか? ―カフカ作品に表れる現代の自分像―
オペラ『魔笛』の解釈
小説「影をなくした男」について
クリスマスマーケット―ウィーンと日本のクリスマスマーケットを見て―
2013年度
ドイツのドイツ菓子、日本のドイツ菓子―食材と歴史の違いがもたらすお菓子への影響を考える―
19世紀を生きた二人の女流音楽家―才能と「女性」の間で悩む女たち―
リュエデゲールの死について
バッドエンドに纏わる運命論―『三つの願い』と『猿の手』より―
修士論文
エーリヒ・ケストナーの二重性
戦間期日本におけるナチス文化の受容とアンチ・アメリカニズムー映画を例にー
ヘルマン・ヘッセと音楽ー「モラリスト」が考える音楽規範ー
Kreisgang-C.F.V.ヴァイツゼッカーの哲学的方法論ー
「事実の容認文」と「仮定の容認文」の枠組み
トーラとの別れーヨーゼフ・ロート『ヨブー平凡な男の物語ー』におけるユダヤ人の同化について
博士論文
「女の子」という運動ーワイマール共和国末期のモダンガール
不可能への挑戦ーアルノ・シュミットの作品を日本語化する際の諸問題